1)そうそう
物の事が上手くいくとは限らない。そんな事を考える今日この頃です。その根源は何だろうと考える時もあります。
この頃、長年個人としては悩んでいた言葉の意味というか矛盾に納得が行って少しだけ嬉しい。
それも、左巻きの方々の主張のお陰と思っています。
平等と公正について、結構、今回の選挙はその理解に役だっているような気がします。
平等と云うのは、それぞれの状況を鑑みず全員に対して同じ待遇を施すが、結果は保証されない。一方、公正はそれぞれの状況に応じ待遇を変えて結果を保障しようとする。この起点で物事を見ると随分、物事が整理されるような気がしました。
2)情報の訴え方で生まれる解釈の怖さ
さて、平等と云う視点で見ると、こんな事象も面白いなって個人としては感じてしまいました。
どこの週刊誌と固有の名称は出しませんし、まだ、特集が続くのかもしれませんので、この分析は当たっていないのかもしれません。でも、国語力のないアッシらしくこの2週に渡っての特集を整理しました。
本来ならば、歯科界の偉い人が意見を述べる事の方が適切と思いますが、個人の世界、そんな捉え方もあるのだと適当に流して頂ければ…(個人としては、偉い人が反論をしっかりとされる方が、大事と思います。併せて、公正さを守る事に繋がると思います。)
結論は、歯科医師は信頼を失っているという事の根拠を特集して頂いたようでした。気をつける所は気をつけたいですし、改める所は改めたく思いますが…ネットで検索すれば確認できる矛盾点だけを紹介したく思います。
保険制度は平等な象徴である。その平等を「倒産した秀○会というグループは不正を働いて」壊した。そんな論点を挙げられていました。元々、歯科医師法違反の医療行為が起点で法人の解散を選ばざるを得なかった。ここに不正請求の象徴を置かれるのはどうなのだろうと思う次第です。
例えばインプラントについて。その危険性、その金額的問題を挙げられ、オールフォーワンシステムを何故用いないのだと、そんな展開をされていたような気がします。きっと、そうなのでしょう。でも、この手法はどんな歴史的経緯を経てスウェーデンで誕生したのか、その後この国に導入されたのか。この視点を抜きに語られる事はどうなのだろうと、ふと、疑問に感じた次第です。この歴史的背景を知ればまた、結論は変わるだろうにと、手前勝手に思った次第です。ここは、公正という視点で捉える方が分りやすい論説を加えられるだろう、そんな気がしました。補綴が自費診療の中、唯一、国が保護しているインプラントシステムがオールフォーワンとすれば、金儲けにされない為の紹介と云う展開には難しさが出てくる気がします。
平等と云う視点を先に置く限り、あたかも“ごった煮(と感じる)の論説”を楽しむ事が出来る事が理解出来た気がします。加えるなら公正の起点を置かねば、方向性がバラバラであっても平等という分りやすい器に押し込めば何とか文章が纏まる気がします。そして、最後に情緒と云うエキスを加えれば、完成する訳です。大事な事は、平等は同一と公正にはフェアネスと置き換える事が出来る点を踏まえなければならない事ではないかと思う次第です。
3)置き換えると
置き換えて考えると、公正さは、人々を同じ機会へ近づきやすさを確保する事。個人それぞれに差異や来歴が、何らかの機会への参加に対して障壁になる場合もあるでしょう。だから最初に先ず公正さを担保し、初めて平等を得られると考える方が正しいのだろうと確認が出来るようになります。
一方、平等は、公正さを推進させる為に全員に同じものを与える。しかし、それが正常に機能するには全員のスタート地点が同じ場合に限る筈です。ここに曲者があると感じた次第です。
同一と云う感覚と同調性が混ざる瞬間、儒教が叫べば性奴隷がいた事にしたくなるようですし。でも、このきっかけはこの国の“日本人悪い子”論者とその情報のお仲間たちでしたが。
同一と云う感覚と同調整が混ざる瞬間、シナが叫べば沖縄も北海道も日本人のものでないとしたくなるようで。でも、このきっかけも“日本人存在しない方が良い”論者とそのお仲間の情報のお仲間の様で。科学的にDNAを調べると、決して異種の民族と云えないにも拘らず。
公正が表にあって次に平等を捉えるというのが、平等だけを考えれば良いという風潮はとても怖いと思うようになっています。平等と云う同一性だけに拘る時、その思想性は純化だけに進む事を意味すると思います。
純度を争うが如く、同一に拘れば、妥協も生まれないでしょう。純粋性にだけその正義を求めれば、その瞬間「公正」と忘れてはいけない足場を失う事を意味すると思います。融通性も認められず一方通行しかない。
そんな純度が、原理主義に心酔した学歴で純粋培養されたエリートによる同胞へのテロ行為が行われた気がします。古くは、この国での日本赤軍の粛清・総括・再教育に伴いながらの国内外のテロも該当するのでしょう。
平気で“人殺しの予算”と云う発言が出るのも、純化のお陰と思うようになります。公正に重きを置かれているのは誰なのか、あるいは、只、純化と平等と云う視点だけしかもっていないのは誰なのか?そんな視点でこの選挙を見つめないといけないのだろうなって妙に、ある雑誌のごった煮の論説を振り返りながら思った訳です。弱者重視と思える発言も平等と云う視点の様な気がしてなりません。(この問題は、発言者の考える平等に支配される事と、純化されればされるほど平等の基準が益々社会的弱者をこぞって大事にしようとする所だと思います)
残念ながら、演説を聞く限り彼らは答えていません。“金持ちを貧乏人して貧乏人が金持ちになる”この命題が成立するのかどうかを。“仕事を増やせば、豊かになる”この視点の方が公正に近い表現の様な気がします。(社会が強くなるから弱者を守れるという方が事実に近いと思います。)
4)公正さが生まれる根底?
公正と云う言葉を用いるのはこ恥ずかしい物です。でも、そのエネルギーはどこまで公に拘るのかという事なのだろうなって思うようになっています。
久々に論文と格闘しながら、なぜ読んでいるのだろう。結果を出したいという動機からなのでしょうが。
多分、最初に少しだけ紹介した記事に歯科医もその職業に使命に忠実であろうとしている。そんなエネルギーが垣間見られたら、感じる物も違ったのかもしれません。働く人は誰でも同じように生きる事に必死なのは当然です。開業医がどれだけ設備投資を予めしなければならないのか、そして制度の矛盾にどう立ち向かっていてと。読み手にも共感が得られる作りであれば、仮にこのままでは歯科医は信用を失うと書かれていても、それはエールに感じられたかもしれません。
アッシには読み手にも、歯科医側にも何ら救いと云うのか目指すものがなく自虐的な文章と云う物しか得られませんでした。そいつを読んで歯科を信じるエネルギーにはならないし、でも歯科は存在しないといけない。この解決には程遠いと思いました。
今の憲法を守らなきゃいけないという論説と同じ匂いを感じてなりません。日本を存続させないと行けないし、日本を守る権利は微妙に認めない。解決は如何に、そんな感じでしょうか?(その解決案が、日本は日本人だけのものじゃないという純化された言葉なのでしょうが)
そう云えば、名歯科医100選?そんな出版物があるそうです。出ませんか?そんなお言葉を頂戴しましたがお断りました。だって、簡単に勘違いをしそうで。アッシは、歯科医に拘りたいし、日本人である以上日本人を大事にしたいと思う所から勘違いしたくない様なので。勘違いの先にある“受けが良い平等病”にだけはなりたくないようです。
歯科医としての育ちは、純粋培養でなかったからこそ思えるのかもしれません。でも、社会人としては純粋培養かも…
あっ!気をつけなきゃ。
おしまい