1)たまに
たまに野球のニュースに目を配らす事があります。昔は球場で実際のプレーを見て一人で悦に入ったり、贔屓の選手が中々上手く活躍できないと勝手に落ち込んだりとそれなりに楽しんでいました。
今は、そんな時間もなく衛星放送で野球を見る事もなくなりました。ただ、ふと気が付くと球界の盟主が“ありえへん”程連敗している事を知ります。我がライオンズ(アッシの贔屓のチームです)は、何か強くなっていると事を知り嬉しくもなります。話を戻します。さて、そんな中、何故こんなに連敗しているのだろう?そういえば、アッシの知っている選手がどうやらいない。引退されているのかと、(ネットの時代は便利ですね)ネットで調べれば2軍で調整中と来る。で、防御率を見ると???しか、頭に浮かばない。防御率良いのですよね。何故、投壊現象であるにも関わらず1軍に呼び戻されないのだろううと、不思議に思ったりもします。喫茶店で読むスポーツ新聞ではそんな事は書いていません。スポーツ記者の目の付け所が悪いのか、新聞は表層しか出せない程度の性質なのか、個人としては分かりません。
新聞で生計を成り立たせている訳でもないので、その表現や報道の質に何かを申すものでもないと同時に思っています。
でも、よく分かりませんが一時は小学校への忖度、今度は獣医師への忖度と、忖度がはやり言葉のように(今年も“日本死ね”のように流行っていない言葉がはやり言葉に選出されるぐらいなら、忖度の方がまだましです)スポーツ新聞の紙上ですら賑わせている事態に嫌気を覚えます。
2)だって
だって、何かが違うと思えてならんのです。で、戦後戦争をしていない国を検索してみる訳です。
話を変えますが、朝まで月一行う討論番組?(個人としては討論とは思えんのですが)で普通の国になりたいのですか?イギリスやフランスのように普通の国になりたいのですか?小学校問題?辻友学園?問題では大活躍の女性議員の決め台詞がありました。間違って少しだけでも見てしまったアッシが悪い。10年以上見ないで平穏だったのに、スポーツニュースを探して事故にあってしまった感じです。
アッシの中では“普通”という言葉を相手に何も言わせない目的、あたかも絶対の壁のように持ち出す方って正直、苦手です。同じ空気を吸う事も生理的に好かないと、ある党首もこの女性も平然と言われました。最後の絶対的決め台詞的に用いられること自体、正直嫌です。ところが、日ごろ人権で自身の価値を売られているせいか人権がお好きな平等第一主義の情報の方々は平和に徹せられます。その上新しい正義のヒーローが誕生した模様。デートクラブって行った事は(そもそもどこにあるか見当もつきません)貧困調査と正義の使者として週3回の活躍。アッシは頼んでいませんが、どなたかが頼んだのでしょう。人権と妙に距離が開いている気もしますが、アッシが普通じゃないからでしょう。
そうそう戦争を経験していない国の数でした。日本を含め8か国。(日本、ブータン、スウェーデン、デンマーク、スイス、ノルウェー、アイスランド、フィンランド)国連加盟国は193ぐらいと記憶しています。
この瞬間、普通という価値は変わる気がします。平和という価値を好まない人はいないと思います。でも、多くは平和からかけ離れたところにいるという事実が読み取れる気がします。仮に戦争をしない事が平和という事ならですが。決まりきった偏見を伴う価値の方は反省が足らんと儒教やファシズムの国に言われがままにある特殊のフィルター(とアッシには見える)を通し、口酸っぱく説法されます。どこが?と、アッシには思えます。
戦争に巻き込まれない方策は、忖度バリア—の発動から進めさせないに変わります。決めてはいけない手配が正義の名の下(ある特殊のフィルターを介せば)当然視される。平等という靄は検証も不要なバリア—の根拠です。
テロに巻き込まれない方策は、明日から映画が作れなくなるという方面が小馬鹿にされると、国連の方から意見を申しつけに来る。(ある特殊のフィルターを介す)平等という靄は検証も抜きの手配が当然です。
検証も根拠も不要な(ある特殊のフィルターにとり都合の良い偏見ともいうべき)普通が分からない事は、同じ空気を吸うのも嫌と言われる対象なのでしょう。そして、いつか、その貧困調査から核心的な解決案が提示されるのでしょう。
3)そういえば
そういえば、昔”普通”とか”常識“という言葉で対峙させられる会話には相当に壁々したような記憶があります。多分、その根底には”そのように相手の意思は別に仕向けたいエネルギー以外は感じられなかった事“、その根拠はお構いなく、あまりに足場にするには無理がある。受けがたい苦痛を覚える所が嫌な感覚を持つ理由なのでしょう。どうしても理解に努めようとするには、こう理解する以外ありませんでした。特殊のフィルターを介せば、一方的な解釈は向こうに居丈高に相手を押し込む事が許される。こう納得した次第でした。暴力と思えますが、空気も吸う事が嫌。生理的に嫌の前では暴力では無いようです。
只、情報の方を通せば無理やりなバリアーを受け入れないと行けないみたいで距離を開けがちです。只、勘弁してもらいたいと思うのは先の話ではありませんが、政治に関わる面々の方に対してです。
海の向こうから恐怖の大王が降りそうになってもお構いなく、ファシズムが侵略を試みようとしてもお構いなく、儒教がすり寄りその後お代わりくださいと言うのもお構いなく、只、フィルターを介せばこの国は危険な独裁国家でそれを手法など問わず(議論などせず、スキャンダルがあるように仕向ける事に日々精進され)対応策をひたすら止める事に努める。愛の戦士を演じられる事に飽きもせず酔いしられる。しらけます。。
仕事をいい加減にしてくださいよ。そんな事を思う日もあります。選挙に行く以外抗議の意思を示す手法もなさそうですし、嫌なものです。
このバリアーが市民権を得る事が本当に嫌です。検証も根拠もなく思い込みが全てと許されるからかもしれません。
4)バリアー
考える事を否定する作業は、馬鹿にさせたままいる事なのでしょうか。この意義はアッシには一つしか思いつきません。良いように利用する上では最高の武器です。
民族の根底を持てないように人権を前に天皇を利用するバリアーにもうんざり。女性宮家の設立の狙いは、あたかも、女性の平等です。が、それも一方面から見た景色でしかないように思います。それも相当に痛い景色に思えます。
女性なら陛下から妻になる平等の権利があるという事と、女性の上に新しい女性を置く、かねてから言われる女性平等から距離があるように思います。背反する事象を作られてどうされたいのでしょう。バリアーを愛す人々へはそれこそ矛盾でしょうに。この矛盾に気が付けば、廃止して今度は共和制ですか?この時、憲法はいじらないと頑張ってきた歴史は、ファシズムの国や儒教の国のように捏造で解決させるのでしょうかね。
階級を陛下という存在を置く事で、他国にはない手法で平等を作った先人達の知恵を全て奪い去る権利がバリアーにはあるようで、嫌。そんな事頼んでもいません。選挙でごまかさずに言えよ。これが本音。
民族の根底にあるものを壊す事は、言い方を変えれば考える力を奪います。
考える力は、ただでさえ歯と身体は関係ないという考えが検証されていないにも関わらず根拠もなく受け入れる事に繋がる気がしてなりません。海の向こうに、仮にこの解明手順を奪われる時、バリアーはどう無かったことにして利用されるのだろうって思うのです。どうせ、責任は取らずに誰々にあって考えを変えたと平然とされるのでしょうね。勘弁して欲しい。
そんな事を考えてしまった今日この頃でした。
一方面からの思い込みしかない中で、さも複雑な思考をしていると見せるそんな見せかけが心底嫌なのでしょうね。
同じ空気は吸いたくないと言われる人間でいる以外ないのでしょうかね。
おしまい