こすが歯科医院
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2017/12/27

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今年も終わるよ~
咬合って何だろうって無邪気に、本当に無邪気に考えだして、気が付けば25年ぐらいの時間が経過したように思います。学生時代も含めれば、もう+3年ぐらいかもしれないけど。
多くの先人達が、咬合に関し、ある現象を見出し何かを導かれようとする。しかし、私の所感ですが、どうしてもあるべき所に行き着かないよう感じる時があります。判で押したように、同じところを行ったり来たりしているように感じる時もあります。いえ、言い方を変えれば、例えれば仮に神様がいて、高い所から観察されているとする。その時、何を感じられるのだろうと、事;咬合学(この学識はまだ生まれていない、あるいはまだ求められている所に行き着いていないと個人のアッシは考えます)に対しては思う時もあります。
この背景には、もしかしたら歯科が医科とは違う特性がある事がその所以では無いかと感じる時もあります。医科の言うガイドラインと称すべきか、あるべき研究スタイルというか、ここに一つ盲点がある気がしています。
アッシは研究者ではありませんから、薄っぺらい知識や学識で書いていると笑い飛ばして頂ければ嬉しく思うのですが。でも、仮に特性が違う側面があるとすれば、神様はどんな言葉を用意しながら天井で見つめているのでしょうか。愚かという聞きたくない言葉のでしょうか?違うよ、そこら辺がともどかしさを感じられているのでしょうか?
咬合に関連する項目を少しだけ整理してみる訳です。
神経学があり、構造学があり、材料学がある。見方を変えれば、筋と骨の運動生理学があり、それを連動させる運動系の神経があり、知覚を司る神経があり、更に言えば複合の神経もある。
これと、骨に乗る歯牙の構造との関連性もどこまで見えているのか?(分かっているのか)
生理学で考えれば筋の代理補償という作用が存在し、口腔という存在の関わるものとなれば、呼吸、発語、嚥下となり、その存在を向こうに咬合学という物を成立させようと試みられている。
乱暴な言い方が許されるなら、咬合器に見える世界に咬合があると信じられている。アッシはこれを否定する立場はとっていません。これだけでは無いと思っている訳です。
話を自棄のやんぱち的な言い方をすれば、噛み(咬み)合わせがおかしいと身体に**が起こると、都市伝説まで生まれる始末。
で、ある時期は歯牙を触る事から治るという伝説と事象が生まれ、ある時期から顎をコントロールすると・・・ある時期をある流派に変えても良いかもしれない。
このどこに噛み合わせや咬合が身体に関連していると理解できるのだろう?
歯(牙)を治すと,噛み合わせが良くなるという言葉も結構お目にかかります。では、顎をコントロールすると、噛み合わせが良くなるというのでしょうか?
問題は、噛み合わせという言葉に医学的定義が無い。この時、論理は何ら成立しない。
この時、都市伝説になってしまいかねないか… 真実か、事実かではなく、論理的に成立するかどうかでしょうが。
微温湯に身を置くか、科学に身を置くか
論理的に成り切らない理由をアッシも考えます。
一つに現症病名という捉えた方を、意図的に歯科界が避けている事に事をややこしくさせる理由がある気もしています。ま、本質よりも宗教論争が好きな方がオピニオンを支配する風潮が事をややこしくさせているのでしょうか?
ここを避ける時、仮に噛み合わせを変える事で仮に治っても、何を治したのか。これが明確にならないでしょうに。
何を治すか、或いは治ったか、これを明確にしなければ、仮に積み上げた実績も何の評価も得られまい。あるいは、おかしくなったとすればその現症を捉えなければ、結果、噛み合わせの定義に逆説的ですが行き着かない気もしています。ところが、それを避けつつ、レバレッジ的に噛み合わせの可能性とその取り組み姿勢で挑めば「微温的」な内容とそれ以上の評価は得られない気もするのです。
科学になる時、実は別の評価も出るでしょう。ですが、そこにも面白い壁もある。現症病名を歯科医が扱う、或いは、その判断トレーニングを歯科医が受けているのか?
現症病名に伴う理学所見を見出す力が歯科医に無ければ、再び宗教論争に行き着く可能性もあるでしょう。仮に、現症病名の見地に立てば、何を治そうとしているのか臨床上の目的は生まれるでしょう。
問題は、噛み合わせが悪いと**:という生温いあたかも都市伝説由来のレベルでは、歯科界の咬合学は発展も、臨床現場での明瞭化も含め対象が漠然としている限り、それは沈滞を意味するのかって思うのです。
疫学調査を行うにも大きく広げて袋に詰めて、現症病名ごとに分けて整理を図れば何かを見いだせるでしょうに、何となく先人達が見出した処から、発展を作り出すとしたら同じところにとどまるべきでは無いと思いますし、科学という土俵に載せる方策を探究されれば良いのになって思う時もあります。
(1)そういえば、法改正で歯科がそれに当てはまるかどうか分かりませんが、美容では術前、術後という紹介の仕方はネット上では認められなくなるそうですね。歯科との共通点があるとすれば、形を出すという表現が問題となる。ここにフォーカスをしたい訳ではありません。大事な事は、医療である限り神経系の課題は、筋肉の動きは、機能的な課題は。これが抑えられてない中で、術前術後という要抜きには認めません。そんな所なのだろうかと考えるに至っています。
機能が崩壊し、機能の回復が認められない中、せめて見た目もという捉え方とは一線を引くべきなのでしょう。歯科の場合、機能が保証されているという前提で治療を受け持ち、歯を失った際に機能がおかしくなる。事故にあった際、機能がおかしくなると言った具合に、その保障されている前提が強気に捉えられている分、ややこしくさせている一因と思う時もあります。これが、歯科医が思っているよりも狭いものであれば話は変わるのかもしれない。
歯科治療に機能のリスク、口腔内の崩壊を増長させるリスク、身体に波及させるリスク等が見いだされれば、いえ、明瞭化されれば、また話は変わるのかもしれません。
只、病状は一夜に悪化する物の、回復には長期戦になるという側面が咬合に纏わる課題が中々、次の起点が見いだされない所以かもしれません。速攻性で見出せるのは、咬合器しかない。あるいは、フリーハンドの模型しかない。

咬合が、「失われた人生」と患者に時に表現する背景は、咬合という存在が明瞭化、臨床に求められる科学の土俵に乗り切れていない、そんな所に理由があるのでしょうか。
もう一つは、対峙する病名が明確でないから、対峙したくても歯科医にもその体系を備えることが出来ない。そんな所なのでしょうか。
(2)対象が不明確だから、都市伝説にしかなりえない。どんなに、咬合を触れないよう歯科医が細心の注意を図ろうとも、不明確な琴線を触れた瞬間、もしかしたら有り得ない現症を知ってしまうかもしれない。患者がその変化を気が付き、この治療のせいだと言葉にならないまでも理解してしまった時、都市伝説とは一線を置くべき現実がのしかかる。不定愁訴と、今の歯科の備えている科学では分からないからと置き換えても、それは解決にどこまでつながるのだろう。
摩擦が激化する要因になるだけかもしれない。
(3)もし、摩擦が生まれる所以が科学として成立していないのなら、歯科医はいつまでも治療のリスクを、患者は賭けを治療の度に置く以外無いのかもしれない。
医療に拘ろうと歯科医が必死になればなるほど患者の圧力は並でないかもしれない。その圧力を、解放させるには表現するなら以下の7つのルートの整理がアッシの場合必要でした。
①口腔由来の全身に行きわたらせる反射があると考える方が自然。その事実関係を反射から誘発する方法は無いか?これが、見いだせればその逆を行えば反射系から解放する手法に気付くのでは?
②姿勢位という観念的言葉が存在するが、この言葉に的確な臨床に当てはまる手法を導ければ、頸を頭に上手に載せられるのでは。これが、出来ればここを納まる顎位を導く方がその実、大局的に見出せるのでは?
相補下顎位という、アッシらの先人達が理想と考えた顎位の捉え方を具現化出来ないか考える訳です。
③姿勢位という世界が成立する時、咬合の固有の湾曲が見出せるのでは?どうしても、理解できない感覚的なアッシ固有の世界観ですが、審美が得意、咬合が得意という技工士を組んでも、その患者固有の湾曲になっていない様感じるように、何時しかなる訳です。
この湾曲性が成立する時、実は咀嚼運動が手前勝手な表現ですが、 動くわけです。
④から先は、またの機会に紹介したく思うのです。
来年も臨床に生きる自分でありたい
咬合という世界に何時しか特化した自分になり。これは自らが意図したわけでなく開院以来そんな出会いが多く開き直ってHPの構成を変える訳です。
患者の圧力に耐えきれず逃げ出したく、でも借財があるから、従業員の生計基盤があるからと必死に立ち向かう言い訳を見つけ、二進も三進も行かなくなっても咬合にだけ拘って何かを見出したのでしょう。見出そうとしたのでしょう。
アッシは天才でもなく、賢くもなく、単なる馬鹿なのですが、馬鹿正直に馬鹿の自覚の下賢くなりたく、調べ続け、何かを会得したのでしょう。賢い方が、アッシと話せば薄っぺらい程度なんてすぐばれてしまいます。底が知れていると言った所でしょうか?
来年は、今年発表した内容を、アッシ流に編集してHPに載せたく思います。
ただ、臨床に生きるという課題にようやく真っ正直に、いえ真っすぐに生きる事が出来そうな一年になりそうです。
今迄は、調べ続ける以外なかったのですが、上手く言えません。この作業は来年も続けるでしょう。でも、悲壮感はなく、只、臨床に添加できる域までどうにか、到達できたと思えるようになった1年でした。不思議な感覚です。
そして、先人達の研究が決して間違っていないと、妙に納得した1年でもありました。
もうすぐ、今年が終わります。今年は、只休もうと、それだけを決めています。
去年より1日何も考えず休む日が出来たことが嬉しい。臨床はやはり甘くないと思うも一人のアッシも常におるから仕方ない。4日だけ頭を休めて、また考え始めるのでしょうね。
おしまい。
んじゃ。

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