身体と痛みと攻めすぎと…
2019/07/21
例えば臨床の事を沢山報告する形態をとるブログもあるようです。例えば、術前・術後と状態を報告するブログもあるようです。そんな感じで、このブログを振り返ると立ち位置は、全くもっていい加減と結構、性格を表すようで、”ま、こんなもんか”と受け入れる以外なさそうです。
ま、息をすると苦しいとか、肩回りが痛いとか、頸が苦しいとか、そんな叫びというか主訴を訴える方々もクリニックですからおります。
頸が確実に身体に乗る位置と言えば良いのか。そんなことを、やはり悩む側からすれば安直に術前・術後を出せる気にはどうしてもなれません。性格なのでしょう。
ま、結構頸が乗り始めるとき、私ではなく身体を手当てをする施術者に通っている患者がいるとする。歯の異常を変えながら、次はここと治療の課題を決めている最中、徒手療法家が見事に攻めすぎて逆に別の所を痛めると感じる出来事がありました。
緩むからここぞとばかりに攻められたのかと”ふと”思いつつ、臨床は難しいと思うに至ります。
アッシですか?その方にとやかく持った感情はございません。
何とかしたいというエネルギーで取り組まれて患者も感謝している。そこで、文句を伝えようもんなら罰が当たる。こんな見方もあると思います。
お願いをお伝えします。攻めたいと思われかつ、目指す完成度の4割か6割程度のもしかしたら物足りなさを感じる程度で今は治療を受けてほしい。こんな事をお伝えすることをお願いします。
頸と身体が乗ると言えば良いのでしょうか?これは中々難しい。今、科学が持つ技術での対峙法と言えば…
かなり厄介というのがアッシの見識。調べて探してあるのか…でも、この運動は続けるのでしょうね。
さて、そんなお願い事をしながら、過去が思い出されます。
ま、個人の過去ですからどうでも良いのでしょうが。
今回の方とは全く違いますが、別の徒手療法家にお世話になる事もありました。
思わず、彼にいろいろと言われたことを思い出します。
今は距離があって、私は平穏でおられますが。この距離が一番良い。
今考えると、あれって苛めというのだろうなって、必死だった頃の自分を振り返りながら思い出されます。今は必死という状況におそらく飽きたらしく覚悟だけは忍ばせて、笑っていようと決めているようですが。
小言、指摘を振り返りながら「重い」と感じていたのだと今更ながらに思い返されます。
歯科治療がどれだけ身体に影響を与えるか。この事実関係は、疎かにされている現実。自分なりには、ようやく論理展開というか科学にするだけの理論を導けましたが。(科学という代物は反証をする枠がいるみたいです。その枠を作れたのでしょう)
この疎かにされている中、次に影響が科学されていない中で、臨床に立ち向かわねばならなかった現実。
この怖さは知らない事で臨床を成立させている歯科治療が是なのか、この怖さを踏まえて臨床に取り組む歯科治療が良しなのか、きっと、そんな議論が起きる日が来るような気もします。
身体が動くようになる線維筋痛症の方を見ていても思う事もあります。(今回の例の患者ではありません。権威から診断された病名の方です)
さて、一見すべてを否定しているように聞こえない下、人格までを攻撃していた(見事なまでに陰険を消し、気づかせないよう)あのさわやかなさは、今になってようやく”お見事”と感心するに至ります。相当、あっしは愚鈍なのだと妙に呆れます。日本語の奥行きがどれだけ深いか、今更ながらに感心します。
日本語って凄いですね。本当にそう思います。
こ馬鹿にされている事を必死な中では気が付く余裕すらない。
「確かにご節、ごもっとも」と納得しつつ、”でもな・・・”なぜ、納得しながら内なる声は、疑問を感じるのだろうと考えるときもありました。
「確かに、ご指摘は聡明です。」と反論はできずじまいでも”しかし、何かが違う…と、釈然としない中、ふつふつとした感情も芽生えます。
歯科における臨床の怖さというか、知られていない課題が実は相当に大きく、うまく言えませんが科学になっていない所が隠されている結果と、この頃は抽象的表現ですが理解するようになっています。
★同じ事の繰り返しのように思いながら、変わる事もある。
例えば臨床の事を沢山報告する形態をとるブログもあります。例えば、術前・術後と状態を報告するブログもあります。そんな感じで、このブログを振り返ると立ち位置は、状況や状態や環境が整っていない中、「さもありなん」という表現だけは避けたいと考えるブログです。だから、”ま、こんなもんでしょうか”と紹介するに徹しています。
歯科の臨床ですから、歯科の治療の出来事しかありません。
この出来事から、身体にこんな影響を渡すのかと感じる以外ありません。
でも、この影響は公にしていかないといけないのだろうとこの頃は思うようになっています。
本当に難しい。
先の徒手療法家に何かを申したいかと言えば、アッシの場合取り立ててエネルギーは無いようです。
声を思わず荒げたことは一度だけあります。
そういえば患者を介し。
歪んでいると先の徒手療法家にずっと言われます。
一つの基準で評価すると歪むが解放されつつあった中、思わず声が荒がります。
その方は、何を基準に歪んでいると言われるのですか?
一つの指標から解放させていますが、その指標はあなたと私で共有している情報にある。(具体的なものは紹介しませんが)
もう一度訊ねますが、その徒手療法家は、自分の主観以外に歪んでいる根拠をお持ちですか?
ここは科学で評価をすべきです。科学には主観はありません。まさか、見た目というトンデモ理論で返す気はその方にはないですよね。
私らが於いている指標を渡します。その方に見て貰ってください。其の上で、どこが歪んでいるか具体的に記して頂いてもらって下さい。場合によっては、私も意見を貰いに行きます。ここで宣言しますが、主観と分かれば、話にならないと撥ね付けるかもしれません。撥ね付けられたくなければ、意見を聞きに来させてください。おかしい、その徒手療法家は。チコちゃん風に言えば、”ぼーっと生きてんじゃねーよ”になるのですかね?な~んてことを呟いた気がします。
アホなんで、あっしは。そんなことを言ったような気もします。
その後は、なぜかぴたりと歪んでいるという報告を受けていないから不思議です。
思い返すと、あの苛めが強くしてくれたのかもしれません。
さて、耳症状はどうするか…
歯科ですしね。
★同じ事の繰り返しから、微妙に修正を加えた行き着く先はどうなるのだろう。
例えば臨床を沢山報告する事を選んだブログもあります。例えば、術前・術後と状態を選ぶブログもあります。”こんな感じ”でいく中で模索を図るか。そんな立ち位置を選んだブログなのでしょう。状況や状態や環境が漠然としている中、「こんな未来が待っています」という表現は医療という立ち位置からはかけ離れると考えています。だから、”ま、こんなもんでしょうか”という構成以外は難しいのでしょう。
ところで、科学というのは修正習性を繰り返しながら性格に近づくという方法もあるようですね。
そんなことを、一度まとめてみたくなります。
落ち切らない所でおしまい。
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